3式1号電波探信儀3型


解説

1.開発の経緯
現存する旧軍のレーダとしは、3式空6号無線電信機(H6)が有名ですが、希少なためなかなか目にする機会がありませんでした。
レーダ関連調べているうちに、沼津市に仮称3式1号電波探信儀3型を所有している人がいることがわかりましたので、この調査概要を紹介します。
レーダのことを海軍では電波探信儀、陸軍では電波探知機と称していました。
海軍における電場兵器の名称は、陸上装備対空見張用を1号、艦船装備対空見張用を2号、艦船装備対水上射撃用を3号、陸上装備対空射撃用を4号、目標平面表示装置(PPI)付きのものを5号、陸上装備航空機誘導用を6号と称していました。航空機上装備用はその装備を秘匿するため、見張用を空6号、逆探を空7号と呼称します。
ところで、この仮称3式1号電波探信儀3型ですが、1号3型が正式呼称ですが、簡便な略称として13号と称し、戦記などでは略称が一般的に使用されています。
仮称3式1号電波探信儀3型の概要は、可搬式で、陸上及び艦船において使用されています。周波数は150Mc、尖頭出力10KW、平行2線式発振回路、空中線は送受信共用2段4列で、約1,000台製作されました。
全体的な回路技術レベルは、コレヒドール(米国、SCR274型)、シンガポール(英国、CD/CHL型)から接収した初期型レーダを模倣し、各種用途のための国産化しながら多岐の改善を行ったもののひとつと思われます。
ただし、妨害電波の対策までの考慮していなかったため、同一周波数の電波を相手から輻射されると、送信周波数の変更が容易にできないため、レーダ使用ができなくなるという重大な欠陥がありました。当時としては、そこまでの開発に余裕がよかったものと思われます。
この機器は、沼津海軍工廠製ですが、この海軍工廠について紹介しますと、国家総動員法により海軍から強制的に昭和17年5月に静岡県の沢田部落に移転通告があり、昭和18年6月に解説されました。最盛期は沢田下165万平方メートルの広大な敷地内で、
学徒動員を含め2万3千余人が従事しました。この工廠では、主に航空機用、艦船用の無線兵器が製造されました。
本機は、受信部、表示部、送信部の3つの装置から構成されています。

2.受信部
受信部については、エーコン管954による高周波増幅2段、局部発振955、中間周波数は20McでRH−2による中間周波増幅5段、検波、低周波増幅1段の当時として標準的な回路構成をとっています。なお、中間周波数については、各機器でまちまちですが、10Mcが一般的に使用されたようです。

3.表示部
表示部では、受信部で受信したパルス反射波をブラウン管(BG−75A)に表示します。標準の機種では、表示昨日のみですが、機種によっては、ブラウン管を2台用意し、操作員(電測士)2名が同時に観測する機種もあります。Aスコープ方式のため、距離の観測だけで、方位については、空中線の物理的位置から算定します。
この機種の特殊機能としては、本来送信部にあるパルス発生回路が表示部に設置しています。原発振はLCにより500c/sの正弦波からパルス幅10μsのパルスを生成しています。また、このパルスを利用してブラウン管に目盛管制として表示し、受信したパルスとの比較ができるような仕組みを組み込んでいます。

4.送信部
送信部は、表示装置からのパルス同期信号をRH−4、T307により増幅後、グリッド変調し、T311プッシュプルによるレッヘル線の平行自励発振により10KW尖頭出力を得ています。

5.空中線
空中線は艦船用と潜水艦用の2種がありますが、2段4列の指向性の高い特性を得ています。また、空中線は送受信兼用のため、特殊放電管により、送信部のパルスにより受信部側を一時的にショート状態とし、受信部側への電波の回り込みを防止しています。

後日談
当該機器は、後日沼津市へ寄贈されたとのことです。


諸元
ブロック図


送信部回路図、空中線、表示部


受信部、表示部回路図


全体構成
左下が受信部の電源部、中央下部が送信部の電源部、右下が受信部、肝心な表示部はありません。

受信部
正面

正面

正面拡大 

上部
真空管は別の金属管を挿入している。本来はRH−2である。

裏面
150Mc帯を取扱ことから、戦後の真空管式タクシー無線機レベルで遜色がない。

受信部の電源部上部

送信部側面

送信部正面

送信部電源正面

送信部全構成

予備品箱

予備品
故障予備品のコンデンサーが見える。


参考文献
日本無線史 第十巻 電波監理委員会
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美

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