ム65改受信機(地1号受信機の後継機)


ム65改受信機#1号機修復記録

来歴
CQ誌のHAM交換室の売ります情報にて東京都稲城市のK氏から購入したのかワープロと交換したかで入手した受信機である。入手した当時はインターネットもなく、地1号受信機のジャンクとしか書かれていないため、入手してみないと状態がわからないと言った時代でした。案の定、本来の地1号受信機とはほど遠い状態のものであった。本体は緑色に醜くペイントされ、Sメータが追加され、前面にはクリスタルフィルター制御のつまみも追加されている。また、つまみもオリジナルなものはなく、かろうじてメインノブのみオリジナルのようだ。
中身は本来はST管であるが、全てMT管に改造されている。
戦後の時代背景もあるが、オリジナルで使用するよりも、少しでも最新の真空管を利用し、受信性能を如何に高めるかを競ったアマチュア無線家達の改造の様子がよくわかる一品である。


正面


正面パネルの上部にJA6CQとうっすらとペイントが残っている。残念ながら、修復作業で消すこととなった。


どうもオリジナルの銘板のようで、この受信機の制式名称は、短波受信機ARRであり、陸軍軍用の地1号受信機ではないようだ。内部の抵抗器に20.2とプリントされており、敗戦直前に軍目的ではなく、公官庁向けの受信機のようだ。たとえば、外務省や警察関係用に軍規格の受信機を型式のみ変更して納品したのか、又は、戦後に余剰在庫となった無線機に独自の型番をつけて納品したのかもしれない。どちらにせよ、地1号受信機の最終期の製品と思われる。

上部写真
本来ST管なのだが、全てMT管でおきかえられている。一番残念なのはオリジナルのIFTではなく、戦後のトリオ製の通信型IFTであるT−11に変更されている。本来はC同調のIFTであった。

裏面写真
高周波段の抵抗器、マイカコンデンサー類はオリジナルのまま使用されているのが唯一の救いであった。復元率が大幅に向上するが、見えない部分であり、世間から見ると単なる自己満足にすぎませんが・・・


修復作業

正面バネル
まず、最初の工程として、オリジナルでない部品の撤去を行うとともに、本体ケースと前面パネルの塗装を剥離材で完全に除去する。塗料残は完全に除去しないと、後工程の塗装でむらとなりやすい。オリジナルの前面とするために、Sメータの穴や故意にあけられた穴をパテやアルミ板を切り出し、パテで埋める。表面は紙やすりできれいに平らになるまでやすりがけをすること。

正面バネル
何回も塗装することでパテで成形した表面の凹凸を見えなくすることができる。なお、この銀色も市販のラッカースプレイで下塗りのために使用したものである。この写真のように光沢がありすぎると興ざめだ。なお、最終塗装では市販のものではオリジナルの色がでないので色あわせした特注ラッカーで仕上げする必要がある。

部品撤去の様子
部品を全てはずしたところ。下部からみたところ。下部にもMT管の穴が見受けられる。

部品撤去の様子
部品を全てはずしたところ。上部からのたところ。

修復部品
高周波増幅、混合、局部発振部の抵抗、コンデンサーの部品類。前期製品は部品類を本体シャーシへ直付けしているが、後期からはこのように部品のブロック化による生産性の向上を図っている。

修復部品
低周波増幅、検波部の抵抗、コンデンサーの部品類。かなりの部品が欠落している。


組立作業

文字板
秋葉原のラジオセンター2階の内田ラジオで以前地1号の文字板のレプリカが販売されていた。奇特な人なのか商売熱心なのかはわからないが、かなり高額であったが、いつか完売したようだ。このような材料があれば、綺麗に復元できる。

部品修復1
欠落した抵抗器やコンデンサーを組立てる。

部品修復2
抵抗器やコンデンサーが規定値か測定し、不良品については交換した。

裏面1
ソケットを組み込んだところ。

裏面2
全ての部品を組立てたところ。(配線前)


修復完成

修復後の正面パネル
最初に購入したものとは思われない程度の仕上がりとなった。見た目では、オリジナル同等。(自己満足度95点)

正面
本体ケースの茶色の塗料も、いろいろメーカのスプレイ塗料をためしてみたが、オリジナルの色とはほど遠い。プラモデル業界では旧海軍の濃緑色系のラッカー塗料は市販されているが、旧陸軍の茶系の塗料はないようだ。
しかたないので、現物で同じ色をメーカに作ってもらうこととした。大変な出費となった。東急ハンズ心斎橋店で、スプレイ缶に調合した塗料を充填してくれるサービスを利用した。(このサービスは今でもやっているようですね、便利なサービスです)

上部
IFTがオリジナルでないので非常に残念である。いつかIFTを入手したものだ。シールドケースもこれだけの量をそろえるのは大変だった。このため、秋葉原の篠塚電気の親爺さんへ頼んでラジオをばらしたときには大量に分けてもらっていたが、今は故人となられ、非常に残念です。

背面
配線は全てやりなおした。時間はかかるが、今思うと一番楽しい時でした。

配線が終了したら、チューニングであるがITFが戦後規格の455Kcとなっているで450Kcに変更した程度で、感度はまずまずといったところでした。(Hzの表記はしませんのであしからず。)
大変疲れました。入手から修復まで約5年ぐらいかかってしまった。というのも、原型があまりにも破壊され、どのようなものがオリジナルなのか初めは皆目見当もつかず、東京へ単身赴任しているときにAWCに入会する機会があり、この会を通じ知りあった茨城県稲敷郡阿見町のS氏のところで回路図を頂いたり、本物の写真撮影をさせてもらったり、また、地1号の銘板などのプレートの一式の複製品(特注品)をもらったりしてやっとオリジナルに近いものを完成することができた。



修復作業記録
定期点検報告(平成25年09月06日)


ム65型受信機#2号機の修復作業記録

本機については、購入時期や購入方法など全く記憶にありません。
また、購入時の原型の記録を保存しておらず、原型機の修復などの記録も記憶もありません。
ただし、本機は通常のム65型とは、内部形状が異なっており所謂「新種」の部類ではないかと思っておりました。
しかしながら、全体的な損傷が激しく、復元するには修復部品の収集など時間がかかめることから今日まで修復作業を停止していました。
今回は地1号受信機シリーズの最後として、このム65型の修復を開始するこことしました。
本機を改めて観察すると、シャーシ内部構造は、シャーシ本体とは別に真空管、IFT、抵抗器や蓄電器をまとめた補助的なシャーシの完全な二重構造となっています。
この構造であれば、配線作業を個別に行い、主要部分を最後に結線するだけで製品は完成することから製造工程での生産性は大幅に向上するこことなります。
地1号受信機からム65改の変遷過程において、本機は異質であり、どのカテゴリーにも当てはまりませんがもしかしたらム65型の原型機かもしれません。 
とりあえず、不明な点もありますが、「ム65型受信機」としておきます。









修復作業記録

修復作業記録 その1 (2016年05月09日)       前面パネル修復
修復作業記録 その2 (2016年05月17日) 
    ソケットの配置の検討
修復作業記録 その3 (2016年05月23日)        部品組立No1
修復作業記録 その4 (2016年06月05日)        全体仮組立
修復作業記録 その5 (2016年06月19日)         電源コネクター実装


電源部修復日記

来歴
電源部については、東京都小岩のばざーらの親爺さんに以前から旧軍関係の無線機があればということで頼んでいたら、商品を取って置いてくれたものである。さすがに写真のようにメータの穴があけられ、主要部品も欠落している。電源トランスやチョークコイルなどの戦後の自衛隊か警察関係のものを流用するこことする。

正面

側面・裏面
時々インターネットで地1号などの電源部の残骸が出品されているが、出品者も含め誰も本来の旧軍の無線機のものとは思わず、入札しても安価で落札することができる。ただし、復元まで考えるとこちらも躊躇する。さすがにここまで、塗装がはげていると再塗装せざるを得ない。できるだけ、オリジナルな状態での保存が望ましいとは思うのですが・・・。上部の上蓋もない。下部の下蓋もない。ないないづくしで、逆にファイトが出る。

正面
うっすらと、前のメータの穴の修復部分が見える。つまみはオリジナルとはほどとおいものである。ACの電圧計は戦後のレントゲンの機械からの撤去品であることがわかるので近くから見られると恥ずかしい。
4mの丸平のマイナスの螺子の入手がなかなか難しく、秋葉原の螺子専門店に特注しようとしたが、高額のため泣く泣く断念した。プラス(十字)の螺子だけは絶対使いたくない。

上部
結局、昭和25年度に製作された警察関係の無線機の電源トランスやチョークコイルなどで復元した。

受信機と電源部のセット
フルセットで並べると壮観である。今後のこの無線機を収容した木箱の収容箱を入手したいものだ。



参考文献
日本無線史 第九巻 電波監理委員会
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美

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